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2009年01月14日

偉大なる恩師

私は小学生の頃に「サインはV」「アタックNO1」というアニメの影響で、初めてバレーボールに出会います。
同級生の女子から「バレーを教えて!」と言われましたが、当然知る訳もなく、本を探し見よう見真似で練習に付き合った記憶があります。

そして、中学1年の後半にバレー部に入部。
そこで、恩師に出会います。

恩師は、その当時でも長身の185cmでした。
恩師が高校生の時は9人制でしたが、レフトにすごい人(異常にスナップが強い)がいたらしく、ライトアタッカーになるため、毎日川に行って左で石を投げたそうです。
その甲斐あって、全国大会に行ったようです。
そのため、恩師は、サーブは右、ネット越しのプレーの際のスパイクは左でした。

さて、私の学校のバレー部の練習は、夏は外、冬は体育館で平日3日と土日だったと思います。
練習内容は、まず、みんなが集まるまでサーブ練習。
あと、辛かったのはレシーブ練習です。
コートに1人で入って、ネット越しの台の上から恩師がボールを出します。
最後には動けなくなりますが、それでもボールは飛んできます。
そこで、動けなければ本番では話にならないんですよね。

あと、サーブカット個人50本もありましたね~
2年生で生徒会の役員に当選したために、3年生の後半まで休部。
その後、生徒会引退後に手伝いに行き、毎日サーブ個人の球出しをしました。
恩師と2人で出しますが、控えを含めると少なくても1日400本以上はサーブを打っていました。
それが、今の私の財産になっていると思います。

思い起こせば、結局、レシーブの練習ばかりしていた記憶があります。
そのおかで、私たちのひとつ上までの3年間は全国に行くことができました。
やはり、レシーブがすべてなんですね!

さらに、その恩師が転勤して行く学校は、必ず全国に行きましたね!
そして、70歳を過ぎて今も、高校の監督をして、全道大会へ導いているんですよ。
素晴らしい!
今年中に、一度学校にご挨拶に行きたいと思います。  
Posted by kota at 21:30Comments(0)バレーボール