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2010年04月16日

ボーイズビーアンビシャス

1877(明治10)年の今日は、あの札幌農学校(現在の北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士が、「Boys,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残して北海道を去りました。

誰でも知っている言葉ですよね。
それでは、誰が博士を招き何を期待したのでしょう。

明治政府は北海道に開拓使を置き、その初代長官に陸軍中将黒田清隆を任命しました。
彼はアメリカを訪れしばらく滞在し、新しいアメリカ文化の精神に深く影響されて帰国しました。
そして北海道開拓の構想をアメリカのシステムでやることに意欲を燃やし、さまざまな事業の助力者としてアメリカ人の専門家を雇いました。
将来の開拓事業の指導者となる青年を養成する必要性を感じ、アメリカ・ワシントンの吉田公使に大学教育に経験を持つ人材を探すよう依頼しました。そしてクラーク博士が指名され、黒田長官の要請に応じて来日する内諾が得られました。

1876年クラーク博士50才の時、彼と日本政府の協定がなされ、黒田長官が立案の専門学校設立と運営のために日本に来ることになりました。彼はその目的の為に1年間の休暇で事足りるとし、同年6月に2人の教授を従えて来日しました。
新しい学校は第1期生16名の学生で9月に始まり、彼は初代教頭(事実上の学長)に就任しました。
日本のスタッフが考えていた規定や規則を聞き、それを笑い飛ばし「こんな規則や取締りで人間を造ることはできない」と、直ちに破棄させその代わり「Begentlemann」の2語だけを与えると云いました。学生達は紳士として扱われることを知り破目を外したがる青年達も自重するようになったそうです。

なんでもダメではいけないんですね。
今の職場やバレーでも通じるところがあります。

明日は、上湧別で練習試合です。
  
Posted by kota at 22:00Comments(0)その他