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2017年04月09日

流氷杯、スプリングリーグ日程

今日は、父母会の総会がありましたが、新入部員が期待できないとのことで、声かけをしていかなければ中体連以降厳しくなりますね。

前段、新1年生の保護者に対して70周年記念事業のお手伝いをお願いしてきました。
合わせてバレー部の件もお願いしました。

スプリングリーグと流氷杯の日程です。
組み合わせは14日に決まるそうです。

◆スプリングリーグ

4月22日(土)

会場
中湧別総合体育館
湧別総合体育館
湧別中学校
上湧別中学校

9時40分から20分回しで16時終了

◆流氷杯

4月23日(日)
試合開始 9時30分

各支部から推薦された各3チーム、計12チームのトーナメント戦

上位4チームは、6月に白糠で開催される道東大会に出場する権利が与えられます。  
Posted by kota at 18:30Comments(0)バレーボール

2017年04月08日

断捨離

昨夜の歓送迎会では、日本酒を飲むと記憶が飛んでしまうので用意しないようにと出欠の時に書いたのですが、用意してほしいと思われていました。
そして飲んでしまいました(笑)

でも、3次会の初めまでは覚えていますよ~
1次会ではプレゼントもいただきました。
もちろん酒です!

今日は今の職場に運んできた書類や雑品などを整理しました。
前の職場では収納スペースが結構あったのですが、今の職場は全くないので断捨離しました。
一昨日コンテナ2つを片付け、今日コンテナ2つとダンボール1つを整理して収まらないものは自宅に持って行きます。
でも、結構捨てたので自宅へはダンボール1つ分だけになりました。
ただ、無理やり収納しているのもあるので、あとで収納ケースを探してきて座席の後ろに置こうと思います。

これで机の周りがきれいになったので、明日は急ぎの仕事に取りかかりますが、昼頃中学校のPTA総会があるので、70周年記念事業の関係で新入生の保護者に事業部に入ってもらうよう話に行かなければなりません。
その後バレー部の父母会の総会です。

仕事はその後ですね。  
Posted by kota at 20:00Comments(0)その他

2017年04月07日

世界保健デー

今日は、世界保健デーです。
1946(昭和21)年のニューヨークで開かれた国際保健会議の採択に基づき、1948年のこの日に世界保健機関(WHO : World Health Organization)が誕生しました。
そしてWHOが1949(昭和24)年に記念日として制定しました。
「すべての人々が可能な最高の健康水準に到達すること」が目的です。

今晩は、前の職場の歓送迎会です。
保健予防の職場のなので、抑えて飲みましょう!
というより今週1週間は環境が変わって精神的に疲れたので早めにダウンするかもしれませんね
(笑)  
Posted by kota at 18:15Comments(0)その他

2017年04月06日

あったかーい!

今日は暖かったですね~
昼休みにワイシャツのままで外へ出ましたが、全く問題なくむしろ心地よい感じでした。
遠軽でも18.8度、管内では津別が21.5度、道内では帯広が22.6度と東京よりも高かったようです。
遠軽の平年の気温は7.9度ですから10度以上も高いんですからね~

にもかかわらず、今朝職場の暖房が入ったのには驚きです。
私の机は窓際で日差しも入るし窓際にスチームもあるので暑くて大変です(怒)

この陽気の中、今日は小学校の入学式でした。
私の時は雪が結構あったような気がします。
ちなみにうちの孫も幼稚園に入園したようで、同級生との記念撮影の様子を写真で見ると成長したな~と爺バカでした(笑)

暖かくなるのはうれしいんですけど、花粉が飛びますからね~

中学校の70周年記念事業の準備や自治会の総会の準備をこの土日でやらなければなりませんが、異動したときに収まりきらなかった物の整理もしなければならず、少しハードな週末になりそうです。
  
Posted by kota at 23:30Comments(0)その他

2017年04月05日

地域医療が・・・

今日からマスク着用で楽になりました。

昨日、丸瀬布厚生病院のベッド存続の丸瀬布と白滝地域住民の嘆願書も持参して考える会の代表が厚生連に行っているはずですが、どうなったことでしょう?

結果はどうあれ、ある方がFoosbookに書かれていたことを紹介します。

今日は湧別町教育委員会を訪ね、「寿合唱」の年間計画と新曲の楽譜を届けに行ってきました。
帰路、上湧別市街に入った時、いつも横目で見て通り過ぎる「庄田萬里翁」さんの像を、近くまで行ってジックリと眺めてきました。
長い文章になりますが、時間のある方、お読みください。

現在の像は、石像になっていますが、昭和12年9月に建立されたときは銅像だったそうです。確かに説明書きには『銅像』の文字がある。近くに住む男性が仰るには「昭和13年から始まった日華事変などの戦争中に供出されたために、後に石像に建て替えられたもの」だそうです。命を貴ぶ萬里先生と命を無駄にする戦争のギャップを考えさせられた。
萬里先生の生涯を、つい最近、湧別町の町民劇場で演じたばかり。先ほどの男性が付け加えて教えてくださった言葉:「萬里先生は、白滝、佐呂間、遠くは雄武まで、馬に乗って診察に出かけたと聞いています。」車でも大変な距離です。
明治30年に移住し、北紋地域の医療に携わった。その以前、明治18年に制定された「屯田兵条例」により、「平常は給与の家屋に居住し、開墾の事に従わしめ、家族と一緒に生活しながら軍事防衛に当たった。農業を営み、開拓を進めた。」萬里先生は、屯田兵の皆さんや家族のために医療に従事し、農村医学の礎を築いた。
他の湧別村に関する資料によると、「庄田満里:中隊本部の看護卒として医務室に勤務。後備役になると兵村に医師がいなくなることから、明治34年東京慈恵医学院に派遣され医師免許を取得し帰村。北湧病院の医師として勤務。村民から『庄田先生に診療を受けて死にたい』と言われるほどに慕われた。」とのことです。

石像の前には、「久美愛病院の跡」の石碑が建っている。説明にはこう書いてあった。『上湧別村産業組合長熊沢助三郎が主唱し、農民医療のため近隣産業組合と糾合し、「北紋医療利用組合連合会」を結成。(紋別郡下14町村)
昭和14年9月、この地に北海道内では最初の農民組織による「久美愛病院」を開設した。<後の、上湧別厚生病院の前身となった>
何と考えられたネーミングだろうか!
「Eternal Beautiful Love!!」
萬里先生が開院に多大な功労があったので顧問に就任したそうです。
上湧別町のHPによると、経営主体は、当初、上記の北紋医連、続いて北聯、北海道農業会、そして北海道厚生農業協同組合連合会、さらには昭和23年8月に上湧別厚生病院となり、昭和36年には遠軽厚生病院となったそうです。いかに多くの人たちの「協同」の力で成り立ったものか!
我々はもう一度、先人の苦労と努力を学ばねばなりません。

しかし、その後、全道に広がり、遠軽と合併する前の丸瀬布町が建設した厚生病院は、来年4月から2階と3階を封鎖して無床の「診療所」に移行するという。庄田萬里先生が尽力し、地域の「久美愛」(組合)の人たちが目指した医療体制をどう考えているのだろうか?
萬里先生は遠軽や丸瀬布の方を見て立っていらっしゃった。
きっと嘆いておられることでしょう。
だが、地域住民は今、立ち上がっている。
私にもできることをやっていきたい。
このFBによるメッセージも、その一つだ。
車を止めて、ゆっくり仰いだ先生の御顔が瞼に浮かんでいる。

  
Posted by kota at 20:30Comments(0)町づくり

2017年04月04日

喉が・・・

今日やっと引き継ぎを受けましたが、実際にやってみないとわかりません。
やりながら覚えていくしかありませんね。
データの保存してある場所もある程度わかりましたが、時間に余裕があるときに整理が必要なようです。

職場が変わったことで環境も変わりました。
室内の寒暖差が激しく、湿度が低いので喉が痛いです。
明日からはマスク着用ですね~

今晩は、丸瀬布中学校70周年記念事業の部会でした。
最近、飲み会が続いていたせいもあり、今回の議案は手を抜いてしまいました。
それでも会議で補足してもらいながら現時点で決められる部分は決めることができました。

ところで、今回赴任してきた教頭がバレー指導者ですが、なんと恩師が同じだということがわかりました!
もちろん世代は違いますけどね(笑)

  
Posted by kota at 23:45Comments(0)その他

2017年04月03日

インフルエンザ

今日から新しい職場で勤務でしたが、ある保育所の電話が回線の故障のためつながらないので、朝8時からこちらの電話で保護者からの連絡を受け付け現場の職員の携帯へ連絡しました。
月曜日ということやインフルエンザなどが流行っていることもあり4軒から休みの連絡がありました。

今日は、後任とあいさつ回りに行きましたが、ある職場では所長以外がインフルエンザで全滅とのことでした。

2年前に前の職場に異動したときも6人が相次いで休みました。
この時期に流行るんですね~

みなさんも気を付けましょう!

なお、学校の場合、発症して5日かつ解熱して2日経過しないと登校できません。
幼児の場合は、解熱が3日になります。
ちなみに発症の翌日に解熱が開始しても発症日を含む6日間は出席できませんよ~  
Posted by kota at 23:55Comments(0)その他

2017年04月02日

飲み疲れ~

昨夜の歓送迎会はビンゴで景品も当たり楽しかったです。
今年採用になった2人と昨年の2人にそれまで一番若かった職員が声をかけて私を誘ってくれ2次会へ行きました。
23時半過ぎに先に帰って次の集まりに参加して帰宅したら2時半でした。
先週は、飲み会が月曜日から3連チャンで1日空いて金土と連チャンでさすがに疲れました。

そういえば、歓送迎会でエイプリフールのうそをつこうと思っていましたが、忘れてしまいました(笑)

今日は、今までの仕事の引き継ぎと新しい職場への引っ越しでした。
引き継ぎは4時間以上かかりましたね~

1951年(昭和26)の今日、岩倉具視の肖像の500円札が初登場しました。
1982年(昭和57)に500円硬貨が発行され、しだいに姿を消しました。

ちなみに100円札は1953年(昭和28)に登場し、1974年(昭和49年)に支払停止なりましたが、結構自宅で持っているという人が多いのではないでしょうか。
私の実家でも100枚束を保管していますよ!
  
Posted by kota at 22:45Comments(0)その他

2017年04月01日

エイプリルフール

昨夜の送別会は、中々いい企画で楽しかったです。
2次会の途中で抜け出して1人で3次会と4次会に行きました。
これもまた楽しかったです!

今日の午前中は、遠軽地域の4保育所の入所式に参加し自己紹介をしてきました。
午後からは職場の机の中を片付け明日の引き継ぎに備えました。
今晩は新しい職場の歓送迎会です。

さて、今日はエイプリルフールですね。
今年は嘘をついていませんのでどうしましょう?
今晩の歓送迎会で一発やりますか(笑)

エイプリルフール(英語: April Fools' Day)とは、日本語では直訳で「四月馬鹿」で毎年4月1日には嘘をついても良いという風習のことです。
4月1日の正午までに限るとも言い伝えられているようで、英語の "April fool" は、4月1日に騙された人を指すそうです。

エイプリルフールの起源は全く不明なのだそうです。
いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていませんが、有力とされる起源説だとつぎのとおりです。

その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していましたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用しました。
これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめました。
しかし、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまいます。
処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていて、フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議とこの事件を忘れないために、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていったというのがエイプリルフールの始まりと言われています。

そして13歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とするという風習も生まれました。
その後、エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなりましたが、「嘘の嘘の新年」は次第に人々の記憶から消えていったそうです。

  
Posted by kota at 17:45Comments(0)その他