2012年08月30日
マルキ通り思い出事業
今日は、母の検査のため旭川医大へ行ってきました。
13時に予約されていましたが、12時前に着いたので、とりあえず受付をしたところそのまま外来へ行って終了したのが16時過ぎ。
途中お腹がすいても食事にも行けず(涙)
「椅子に座ってお待ちください!」
だけを信じて待っていてはダメだというのがわかりました。
今度行くときは、どのくらい席を離れていても大丈夫か確認します。
さて、今晩は来月8日に開催する「マルキ通り思いで事業部会」でした。
「マルキ通り」とは、以前も書きましたが、丸瀬布地域の商店街通りの通称です。
大阪のパン王と言われた水谷政次郎氏が丸瀬布に小麦を生産するための農場を開き、丸瀬布地域に多額の寄付も含めて貢献されたことから、「マルキパン」という屋号からつけられたものです。
私が幼少のころ(笑)お祭りともなるとマルキ通りの両側に露店が立ち並び賑やかでした。
距離にして500m以上はあったと思います。
今年丸瀬布が開拓100年を迎えたことから、その頃を思い出してもらおと企画しました。
その日は、露天商のみなさんも別会場で営業するので、中身が重複しないようにして昔ながらのものを用意します。
また、昔のマルキ通りの商店や街並みの写真を現在のものと一緒に展示、高齢の方には懐かしく、若い皆さんには歴史を感じてもらいたいと思います。
それでは、このあとはこれもまた、昔の丸瀬布を象徴する「雨宮21号」関連の取り組みを行っている「夢里塾」の例会です。
13時に予約されていましたが、12時前に着いたので、とりあえず受付をしたところそのまま外来へ行って終了したのが16時過ぎ。
途中お腹がすいても食事にも行けず(涙)
「椅子に座ってお待ちください!」
だけを信じて待っていてはダメだというのがわかりました。
今度行くときは、どのくらい席を離れていても大丈夫か確認します。
さて、今晩は来月8日に開催する「マルキ通り思いで事業部会」でした。
「マルキ通り」とは、以前も書きましたが、丸瀬布地域の商店街通りの通称です。
大阪のパン王と言われた水谷政次郎氏が丸瀬布に小麦を生産するための農場を開き、丸瀬布地域に多額の寄付も含めて貢献されたことから、「マルキパン」という屋号からつけられたものです。
私が幼少のころ(笑)お祭りともなるとマルキ通りの両側に露店が立ち並び賑やかでした。
距離にして500m以上はあったと思います。
今年丸瀬布が開拓100年を迎えたことから、その頃を思い出してもらおと企画しました。
その日は、露天商のみなさんも別会場で営業するので、中身が重複しないようにして昔ながらのものを用意します。
また、昔のマルキ通りの商店や街並みの写真を現在のものと一緒に展示、高齢の方には懐かしく、若い皆さんには歴史を感じてもらいたいと思います。
それでは、このあとはこれもまた、昔の丸瀬布を象徴する「雨宮21号」関連の取り組みを行っている「夢里塾」の例会です。
Posted by kota at 20:00│Comments(0)
│町づくり