2013年06月21日
水谷政次郎氏の子孫来町
今日、丸瀬布に多大な貢献をされた「水谷政次郎」氏の子孫の方々が来町しました。
札幌から長女の娘さん夫婦と小清水から次男の奥さんとその娘さん夫婦がいらっしゃいました。
水谷政次郎さんは1920年代に東洋のパン王と言われた方です。
そしてパンの原料である小麦の生産基地として小清水、千歳など北海道内に農場を作りました。
丸瀬布にも水谷農場ができて、その後水谷橋建設費全額寄付(1923年 6千円)、丸瀬布小学校建設に多額の寄付(1926年工事費の半額6千円)など多大な貢献をしました。
そのため、マルキ通り、水谷橋、水谷町などの名前がつけらました。
さらに石北本線の開通にもカボチャ団体を企画しその資金を援助するなど、その後の丸瀬布の発展に大きな影響をもたらしました。
ちなみに千歳の農場はその後海軍へ寄贈して現在は千歳空港となっているそうです。
ところで、今回いらっしゃった長女の娘さんの父(清重氏)は、マルキイースト研究所で日本で最初にイースト菌を作った人です。
イースト菌では発酵は2時間でできることから日本のパンの革命を起こしました。
今回は、水谷という名前がついた橋やゆかりの地を案内し、地元で所蔵していた写真などをお見せしたところとても喜んでいただきました。
また、胸像を寄贈していただけるとのことでしたので、郷土資料館に「水谷政次郎」コーナーを設置できるように検討したいと思います。
札幌から長女の娘さん夫婦と小清水から次男の奥さんとその娘さん夫婦がいらっしゃいました。
水谷政次郎さんは1920年代に東洋のパン王と言われた方です。
そしてパンの原料である小麦の生産基地として小清水、千歳など北海道内に農場を作りました。
丸瀬布にも水谷農場ができて、その後水谷橋建設費全額寄付(1923年 6千円)、丸瀬布小学校建設に多額の寄付(1926年工事費の半額6千円)など多大な貢献をしました。
そのため、マルキ通り、水谷橋、水谷町などの名前がつけらました。
さらに石北本線の開通にもカボチャ団体を企画しその資金を援助するなど、その後の丸瀬布の発展に大きな影響をもたらしました。
ちなみに千歳の農場はその後海軍へ寄贈して現在は千歳空港となっているそうです。
ところで、今回いらっしゃった長女の娘さんの父(清重氏)は、マルキイースト研究所で日本で最初にイースト菌を作った人です。
イースト菌では発酵は2時間でできることから日本のパンの革命を起こしました。
今回は、水谷という名前がついた橋やゆかりの地を案内し、地元で所蔵していた写真などをお見せしたところとても喜んでいただきました。
また、胸像を寄贈していただけるとのことでしたので、郷土資料館に「水谷政次郎」コーナーを設置できるように検討したいと思います。
Posted by kota at 21:30│Comments(0)
│町づくり
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