2021年03月22日
アイヌは開拓の恩人
今日のコロナ感染者数は、50人でやはり月曜日は検査数が少ないため陽性率は5.9%と高く、この1週間では3.2%で0.3ポイント増加しました。
現在の患者数は719人で昨日より5人減りましたが、1週間前と比べて18人増加し、入院患者数は1日前の数字で前日より16人増えて348人となりました。
日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」で12日にアイヌ民族への差別表現があった問題を巡り、会員制交流サイト(SNS)の一部でアイヌ民族の存在を否定するようなヘイトスピーチ(憎悪表現)が続いているようですが、身近じゃないからですかね。
私が子どもの頃には、丸瀬布にもアイヌの方が住んでいました。
以前にもこのブログで書きましたが、丸瀬布は1912年(明治45)2月25日に開拓の鍬が入れられましたが、その当時、鮭の獲り方や小屋の作り方、食草や薬草の見分け方、シナ縄の編み方、染料の作り方など北海道の厳しい生活に耐えうる工夫はアイヌのみなさんに学んだものだそうで、もしそれがなければ本州へ帰っていたそうです。
そのため、旧丸瀬布町史では「アイヌは開拓の恩人」として表記しています。
また、開拓50周年記念式で当時在住していたアイヌの方を「町開拓功労者」として顕彰しています。
現在の患者数は719人で昨日より5人減りましたが、1週間前と比べて18人増加し、入院患者数は1日前の数字で前日より16人増えて348人となりました。
日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」で12日にアイヌ民族への差別表現があった問題を巡り、会員制交流サイト(SNS)の一部でアイヌ民族の存在を否定するようなヘイトスピーチ(憎悪表現)が続いているようですが、身近じゃないからですかね。
私が子どもの頃には、丸瀬布にもアイヌの方が住んでいました。
以前にもこのブログで書きましたが、丸瀬布は1912年(明治45)2月25日に開拓の鍬が入れられましたが、その当時、鮭の獲り方や小屋の作り方、食草や薬草の見分け方、シナ縄の編み方、染料の作り方など北海道の厳しい生活に耐えうる工夫はアイヌのみなさんに学んだものだそうで、もしそれがなければ本州へ帰っていたそうです。
そのため、旧丸瀬布町史では「アイヌは開拓の恩人」として表記しています。
また、開拓50周年記念式で当時在住していたアイヌの方を「町開拓功労者」として顕彰しています。
Posted by kota at 21:50│Comments(0)
│町づくり
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