マルキ通り
丸瀬布の商店街(といっても現在はまばらになってしまいましたが、)に面した通りを「マルキ通り」といいます。
実際は道道丸瀬布上渚滑線の一部で丸瀬布駅前の交差点から白滝方向に向かった国道より1本JR側の通りです。
なぜこの名前がついたかというと、
1920年代に東洋のパン王と言われた大阪の水谷政次郎氏がパンの原料である小麦の生産基地として小清水、千歳など北海道内に農場を作りました。
丸瀬布にも水谷農場ができて、その後水谷橋建設費全額寄付(1923年 6千円)、丸瀬布小学校建設に多額の寄付(1926年工事費の半額6千円)など多大な貢献をしたことから、マルキ通り、水谷橋、水谷町などの名前がつけられたようです。
ちなみに千歳の農場はその後海軍へ寄贈して現在は千歳空港となっているそうです。
ところで、水谷さんはマルキイースト研究所で日本で最初にイースト菌を作った人です。
それまではホップ種や酒種で何日もかけてやっていたのが、イースト菌では発酵は2時間でできることから日本のパンの革命を起こしました。
そして、アメリカから大量の自動機械設備を輸入し、大阪の堀江に東洋一のパン工場をつくります。
このパンの工場が、今の日本の製パン業の原点になっていったそうです。
なぜ、このようなことを調べているかというと、丸瀬布100年記念事業の一環でマルキ通り関連の事業を計画するためです。
できれば、当時のパンを作れたら面白いのにな~と思っています。
ほかに露店がひしめき合った当時を思い出して、昔の露店を再現できたらと思います。
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