2015年02月24日
郷土史研究会理事会
今晩は、郷土史研究会の理事会でした。
丸瀬布の礎を築くときに多大な貢献をされた水谷政次郎氏の胸像を憩いの森の郷土資料館に展示するための打ち合わせでした。
以前も書きましたが、水谷政次郎さんは1920年代に東洋のパン王と言われた方です。
そしてパンの原料である小麦の生産基地として小清水、千歳など北海道内に農場を作りました。
丸瀬布にも水谷農場ができて、その後水谷橋建設費全額寄付(1923年 6千円)、丸瀬布小学校建設に多額の寄付(1926年工事費の半額6千円)など多大な貢献をしました。
そのため、マルキ通り、水谷橋、水谷町などの名前がつけらました。
さらに石北本線の開通にもカボチャ団体を企画しその資金を援助するなど、その後の丸瀬布の発展に大きな影響をもたらしました。
ちなみに千歳の農場はその後海軍へ寄贈して現在は千歳空港となっているそうです。
胸像は一昨年親族の方より「丸瀬布に置いてもらったほうが良い」と寄贈されたものです。
4月29日のいこいの森開園式に合わせて除幕式をできればといういことになりました。
あまり時間がありませんが、なんとか間に合わせたいですね!
丸瀬布の礎を築くときに多大な貢献をされた水谷政次郎氏の胸像を憩いの森の郷土資料館に展示するための打ち合わせでした。
以前も書きましたが、水谷政次郎さんは1920年代に東洋のパン王と言われた方です。
そしてパンの原料である小麦の生産基地として小清水、千歳など北海道内に農場を作りました。
丸瀬布にも水谷農場ができて、その後水谷橋建設費全額寄付(1923年 6千円)、丸瀬布小学校建設に多額の寄付(1926年工事費の半額6千円)など多大な貢献をしました。
そのため、マルキ通り、水谷橋、水谷町などの名前がつけらました。
さらに石北本線の開通にもカボチャ団体を企画しその資金を援助するなど、その後の丸瀬布の発展に大きな影響をもたらしました。
ちなみに千歳の農場はその後海軍へ寄贈して現在は千歳空港となっているそうです。
胸像は一昨年親族の方より「丸瀬布に置いてもらったほうが良い」と寄贈されたものです。
4月29日のいこいの森開園式に合わせて除幕式をできればといういことになりました。
あまり時間がありませんが、なんとか間に合わせたいですね!