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2017年01月26日

なぜ、左遷っていうの?

昨日は、菅原道真が左遷されたことから「左遷の日」でもあったのですが、少し気になったので調べてみました。

901(延喜元)年、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されました。
彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言しました。
これにより、天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになり、菅原道真を太宰権帥に左遷、筑紫国に流罪とすることとしました。

「左右に優劣をつける」という慣習はかつての中国に存在しましたが、これは永続的な概念ではありません。
要するに、右を尊しとする時代もあれば、左が良しとされていた時代も存在していたということです。
これは中国の二大宗教・哲学である「儒教」と「道教」の考え方の違いからのもののようです。

どちらかと言えば「左」を尊ぶ王朝が多かったのですが、これは道教の祖とされる老子の「君子、居れば則ち左を貴び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ」という言葉からの影響です。

31章の「夫兵者不祥之器、物或惡之、 故有道者不處(武器は不吉な道具で皆が嫌うものなのだから、道を極めた者は使うべき立場にはならない)」という有名な書き出しの後に「君子は普段は左を貴び、武力・武器を用いる時は右を貴ぶ」という認識を示しています。
また「吉事尚左、凶事尚右」として「めでたい行事では左を貴び、不吉な行事では右を貴ぶ」とも書かれているように道教でははっきりと左を尊ぶ考え方を持っていたということです。
これは「天子は南面する」という慣習において、南面すると太陽が昇る方位である東が左になりますので、ここからの連想なのではないかと思います。

一方、儒教では五経の一つの礼記に「「右を尊しとし、左を卑しとす」とあるように右を貴んでいました。
これは陰陽家と似た考えから、天・男などと同じく「陽」と見做された右を上位に置いたと考えられます。
王朝・時代によって左右のどちらが上かが違っているのは、儒教と道教の認識によるものなのかもしれませんね。

官位・官職名などから推測した、王朝ごとの違いを書いておきますので参考にしてください。

右が上位:戦国時代~秦、漢、元
左が上位:周~春秋時代、南北朝、隋、唐、宋、明、清

「右に出る者はいない」と言うように、右を上位としてみる考えは「左遷」と同様に考えですね。

ちなみに日本の律令制では右大臣より左大臣が官位が上なのは、左を上とする「隋」や「唐」の律令を取り入れたからです。
  
Posted by kota at 23:45Comments(0)その他